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日本貨幣史 History of Japanese Currency そして、円が生まれた 第2集 明治維新と近代幣制整備
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| (1)西洋式貨幣と明治政府 | |
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嘉永3年(1853年)、アメリカ合衆国のペリーが我が国を訪れました。彼は大砲で幕府を脅し、我が国に開国を迫りました。嘉永4年(1854年)、日米和親条約が結ばれ我が国は開国することになります。これを契機に、国内では幕府と反幕府勢力との間で、争いが起きるようになります。慶応3年(1867年)15代将軍、徳川慶喜は大政奉還を行い、江戸幕府は200年余の歴史に幕を閉じました。 明治新政府は、通貨制度の近代化を試みました。従来の「1両=4分=16朱=4000文」という仕組みを改め、「1円=100銭=1000厘」という10進法に基づく通貨単位にしました。また、外国との貿易に便利なように、西洋式の円単位金銀貨を発行しました。 |
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(2)旧国立銀行券の発行 |
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明治維新政府は、明治元年(1868年)太政官札、翌年には民部省札という紙幣を発行しました。これは、政府の経費を紙幣の発行によって賄おうとするものでした。明治政府の樹立から数年が経過すると、旧紙幣の整理と銀行制度の整備が必要となりました。そこで、政府は明治5年(1872)国立銀行条例を制定、全国に新設された国立銀行に紙幣を発行させました。ここでいう「国立」とは国の経費で設立されたという意味ではなく、「国法によって設立された」株式会社組織の民間銀行でした。国立銀行は全国に153行が設立されました。 |
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(3)紙幣の乱発と日本銀行の設立 |
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明治新政府は江戸幕府を倒し、国号を大日本帝国としました。しかし、問題は山積していました。強大な力を持っていた欧米諸国の植民地化を避けるために、日本の近代化を進めなくてはなりませんし、旧幕府勢力との戦争にも対処しなければなりませんでした。支出ばかりが多く当然、財政はみるみる悪化しました。明治10年(1877)西南戦争が勃発すると、経費捻出の為にさらに紙幣を増刷しました。すると、政府紙幣に対する信頼が低下しました。本来、1:1であるはずの金銀貨(正貨)と政府紙幣との間に格差が出来、政府紙幣を正貨に交換するには額面より悪いレートで両替しなければならなくなってしまいました。 困った政府は、政府から独立して通貨を発行する中央銀行を設立することにします。これが日本銀行です。日本銀行は、政府から独立した立場で、正貨との交換を保証した「兌換銀行券」を発行することで正貨と紙幣との間の格差発生を防ぎ、通貨の安定を目指す役割を負いました。明治18年に銀貨との交換を保証した「日本銀行兌換銀券」が発行され、後には金貨との交換を保証した「日本銀行兌換券」が発行されました。 |
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| (4)銀行券用肖像の選定 | |
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銀行券の肖像としてふさわしい歴史上の人物が選定されました。選ばれたのは、藤原鎌足、和気清麻呂、菅原道真、武内大臣、聖徳太子、日本武尊、坂上田村麻呂の7人でした。選定基準は、よく知られており、我が国の歴史上、天皇家もしくは我が国に特別の功績があった人物、でした。このうち、坂上田村麻呂を除く6人が、約60年間に亘って我が国の銀行券の顔として活躍しました。 |
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| 次回 | |
海を越え、円は通貨圏を形成した |
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参考文献 日本貨幣商協同組合 編「日本貨幣カタログ 2004年版」日本貨幣商協同組合(2003) 文部省検定済教科書「詳説世界史 改訂版」山川出版社(1998) 日本銀行ウェブサイト http://www.boj.or.jp/ フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia)』 http://ja.wikipedia.org/ |
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