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日本貨幣史 History of Japanese Currency 束の間の平和、混乱の再来 第4集 世界恐慌と満州国建国 |
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| (1)満州国建国 | |
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満洲とは現在の中華人民共和国東北部の地域をさす名称です。この地は、清朝時代には満州族の帝室の故郷とされていたため、漢民族による植民が制限されていました。清朝崩壊後は、権力の空白地帯となり、軍閥の張作霖が支配を固めていました。 ロシア革命が起こり、ソ連が誕生すると関東軍はこの地を対ソ防衛のための基地とするために、満洲を日本の影響下におこうとしました。一方、日本国内では不景気の影響が深刻な状態でした。また、アメリカ合衆国が排日移民法を成立させたことにより、貧しい農民の受け入れ先がなくなり、対策が必要でした。このタイミングで満州事変が発生しました。若月礼次郎内閣は不拡大方針を示しました。一方、新聞など国民世論はこれを支持しました。 昭和6年(1931)9月、満州事変が発生し、全満州は日本の関東軍が占領しました。翌昭和7年(1932)2月に、張景恵を委員長とする東北行政委員会が組織され、中国国民党政府からの分離独立宣言を発しました。元首として清朝の最後の皇帝愛新覚羅溥儀を担ぎ出し、彼を満州国執政の座に据えました。1932年3月1日、満州国の建国が宣言されました。首都には長春が選ばれ、新京と改名されました。 当時の満洲や中国では銀行や地方政府が自由に紙幣を発行している未熟な状態でした。満州国では、この状態を改善するため、貨幣の発行を管理する単一の中央銀行を創設しました。これが、満洲中央銀行です。満州国の通貨は「国幣」と称されました。銀行券の印刷、製造は日本の内閣印刷局が行いました。 昭和20年(1945)、日ソ中立条約を破ったソ連軍が満州国に侵攻しました。満州国は崩壊し、満洲中央銀行の歴史にも幕が下りました。
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(2)支那事変(日華事変/日中戦争)と軍用手票の発行 |
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1937年の盧溝橋事件を契機に、我が国と中華民国は戦闘状態に入りました。広大な戦場で、アメリカ合衆国の支援を受けた中華民国との戦いは、泥沼化の様相をみせ、大東亜戦争(第二次世界大戦)の終結まで戦闘状態が継続しました。我が国は、占領した地域で物資の調達を行うために「軍用手票」を発行しました。様式は初め「明治通宝」の様式を真似たものが用いられ、その後、当時の日本銀行券の文言を抹消した様式、独自の意匠を採用した軍票の発行へと変化しました。 |
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次回 |
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通貨も戦場へ渡った |
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参考文献 日本貨幣商協同組合 編「日本貨幣カタログ 2004年版」日本貨幣商協同組合(2003) 文部省検定済教科書「詳説世界史 改訂版」山川出版社(1998) 日本銀行ウェブサイト http://www.boj.or.jp/ フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia)』 http://ja.wikipedia.org/ |
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