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日本貨幣史 History of Japanese Currency 第5集 大東亜戦争(第二次世界大戦)
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(1)東南アジアにおける欧米植民地の崩壊と軍用手票の発行 |
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昭和12年(1937年)の支那事変を契機に、我が国と中華民国は戦闘状態に突入していました。我が国は蒋介石を中心とする国民党軍を大陸奥地の重慶にまで追い詰めました。しかし、我が国の勢力拡大を警戒していたアメリカ合衆国は国民党軍に援助をし続けたため、戦況は泥沼化の様相を見せていました。 昭和16年(1941年)、アメリカ合衆国、イギリス、中華民国、オランダの4カ国は我が国の勢力拡大を阻止するため、「ABCD包囲網」を発動させました。これにより、資源の乏しい我が国は石油や鉄など必要な物資を輸入できなくなりました。我が国は包囲網の解除をアメリカ合衆国などに要請しました。提示された条件(ハル・ノート)は、日本軍の中国大陸からの全面撤退、日独伊三国軍事同盟の破棄、我が国に協力的な中華民国南京政府の否認という、到底受け入れることの出来ないものでした。万策尽き果てた我が国は、ここに米英との開戦を決意し、12月7日、ハワイ・真珠湾の米国艦隊を攻撃しました。 日本軍は破竹の勢いで勝ち進み、アメリカの植民地だったフィリピン、イギリスの植民地だった、マレー・香港・ビルマ、オランダの植民地だったインドネシアなどにおいて連戦連勝し、これらの地を勢力下におきました。こうして、東南アジアに於ける欧米各国の植民地体制は崩壊します。我が国は、米英からの解放、共存共栄の秩序、人種差別撤廃などを掲げた「大東亜共栄圏」構想を提唱しました。現地では、決済手段として軍用手票が発行されました。これらの軍票には日本らしい風物が描かれることが無く、かわりに椰子の木や南国の果物が描かれています。また、券面の文言には、英語やオランダ語などそれまで宗主国だった国の言語が用いられ、日本語は券面に小さく「大日本帝国政府」と記載されるにとどまりました。 昭和20年(1945年)、我が国は戦争に敗れました。我が国が発行した軍用手票は無価値となり、通用を禁止されました。
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(2)日本銀行券の発行 |
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日本銀行兌換券は正貨との交換をうたっていた為、交換用の金銀貨を用意する必要がありました。正貨準備に基づくことなく、日本銀行の信用に基づいて発行する方法に変わりました。これが日本銀行券です。 写真
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次回 |
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円は紙屑と化した
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参考文献 日本貨幣商協同組合 編「日本貨幣カタログ 2004年版」日本貨幣商協同組合(2003) 文部省検定済教科書「詳説世界史 改訂版」山川出版社(1998) 日本銀行ウェブサイト http://www.boj.or.jp/ フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia)』 http://ja.wikipedia.org/ |
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