日本部 過去掲載の記事


 
 
 

改刷関連/ゆく札くる札

勤続20年ありがとう!新渡戸先生を送る会

 新紙幣(E券)の発行まで、あと1ヶ月になりました。今回の改刷で惜しくも新渡戸稲造先生は、五千円札の顔から引退されます。20年間、毎日のようにお世話になったD5000円券をもう一度振り返り、感謝の気持ちを捧げたいと思います。

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新渡戸 稲造先生(1862−1933) 

東京帝国大学教授、京都帝国大学教授、国際連盟事務次長。著書に「武士道」等。

十和田市立新渡戸稲造記念館

http://www.towada.or.jp/nitobe/

地球

 国際連盟事務次長となり、世界の架け橋として活躍した新渡戸の功績を記念して、太平洋を中心に据えた地球が描かれている。

富士山

 日本最高峰を誇る美しい山。内外で、日本の象徴となっている。

 新渡戸稲造は「武士道」という英文の本を書きました。武士道を通して、欧米人に日本文化を紹介するその本は、大反響を起こし彼らに対し日本理解を促進しました。日本語訳された「武士道」は、私たちが日本文化を再確認するための本として、現在でも読み継がれています。

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改刷関連/勤続20年ありがとう!

夏目先生を送る会

 新紙幣(E券)の発行まで、あと1ヶ月になりました。今回の改刷で惜しくも夏目漱石先生は、千円札の顔から引退されます。20年間、毎日のようにお世話になったD1000円券をもう一度振り返り、感謝の気持ちを捧げたいと思います。

夏目漱石(1867ー1816)

 本名は夏目金之助。帝国大学に入学、高等師範学校勤務の後、英国留学。帰国後は東京帝国大学の講師になる。その後、「吾輩は猫である」を発表する。

タンチョウヅル

 丹頂鶴。古来より瑞鳥とされてきた。北海道に留鳥として飛来する。明治時代に乱獲され、絶滅したと思われた。しかし、少数の生存が確認され、保護されるようになった。昭和27年、特別天然記念物指定。

  D1,000円券は、20年間に亘り発行され続けてきました。その間、様々な事情から何回かマイナーチェンジが実施されており、そのバラエティは豊富なものとなっています。記番号の色だけでも4回変わっています。さらに、銘版が「大蔵省印刷局製造」から「財務省印刷局製造」に変更され、さらに「国立印刷局製造」へと変わっています。記番号の色と銘版の組み合わせで、6種類の1,000円券が存在しています。100年を超える日本紙幣の歴史の中でも、これだけ変化に富む銀行券は珍しいということが出来ます。

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改刷関連

肖像採用回数ランキング

新紙幣(E券)の発行まで、あと2ヶ月になりました。今回、福沢諭吉翁が引き続き10000円券の肖像として続投することが決まっています。これまでの歴代日本通貨の中で、誰が一番採用されているのか調べてみました。

※軍用手票と明治通宝以前の紙幣は除外しました。また、特定できる人物像のみを対象とし、建造物や動植物は含まれて降りません。

※万葉記号/アラビア数字は両方合わせて1回と数えました。

1位 聖徳太子 / 和気清麻呂 / 菅原道真 / 7回

 聖徳太子は昭和5年から昭和59年まで約半世紀に亘り、日本の最高額面券の肖像として愛用されました。和気清麻呂と菅原道真は皇室の為に働いた功績が認められ、戦前は10円券や5円券の肖像として、採用されていました。

4位 武内大臣 6回 

成務・仲哀・応神・仁徳の4代の天皇に仕えたという伝説的な忠臣です。

 

5位 藤原鎌足 / 大黒天  4回

 聖徳太子が登場するまで、藤原鎌足が最高額面の100円券の肖像に採用されていました。昭和に入ってからは、20円券、200円券の肖像に描かれていました。大黒天は、最初の日本銀行兌換券の全ての額面に描かれていました。

 

7位 神功皇后 3回(旧国立銀行券裏面を除く)

 仲哀天皇の后。お抱え外国人技師・エドワルド・キヨッソーネによる、政府紙幣の全額面に描かれていました。

8位 福沢諭吉 岩倉具視 板垣退助 2回

 戦後発行の紙幣に採用された人物がここでランクインです。いずれも、明治時代に活躍した人物が描かれています。

11位 恵比寿 日本武尊 二宮尊徳 高橋是清 伊藤博文 夏目漱石 新渡戸稲造 野口英世 樋口一葉 1回
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こうしてみると、同一人物が何度も採用されていることがわかります。戦前は皇室に仕えた人物が描かれ、戦後は明治時代の偉人が描かれていることが特徴です。

2004年9月6日

 


新版 貨幣用語辞典

「新円切替」って何ですか?

 昭和21年(1946)に行われた通貨政策のことです。具体的には、これまで使用されてきた通貨は「旧円」とされ、強制的に金融機関へ預けなければならないとされました。「旧円」は間もなく強制通用力を失い、代わりに「新円」と呼ばれる新しい通貨が流通するようになりました。このような政策を採用した理由は、戦争終結後の悪性インフレを抑えるためでした。

 新円切替の為、日本銀行と印刷局は、日本中のお金を新札に切り替えるべく、急いで大量の紙幣を製造する必要に迫られました。しかし、当時は戦争に負けたばかりで、国が紙幣を印刷するための材料も、満足に手に入らない状況でした。そのため、「証紙」という切手大の印紙を印刷し、これを貼り付けた紙幣は旧円のデザインであっても、そのまま新円として使えるようにしました。また、聖徳太子を描いた百円券の場合は、これまで使われてきた百円券の刷色を変更し、さらに「天平雲とさくら」の赤いマーク(新円標識)をつけて、「新円」としました。なお、紙幣を大量に供給するため、昭和21年から昭和25年までに発行された紙幣の番号は、省略されています。「111526」などと印刷されているのは、ただの記号です。現代であれば、「紙幣の番号は、同じものが無い」というのが常識になっていますが、こうした事情から、当時の紙幣は同じ記号の紙幣が90万枚存在するという「異常な」状態になっております。

 ちなみに、一円紙幣は新円切替の対象にはなりませんでした。これは、貨幣単位(補助貨幣の銭を除く)の最小額である、「一円」貨幣は通過整理の対象から除外するという、慣例に従ったものです。このため、明治18年(1885)発行の大黒1円紙幣以来の全ての一円札は21世紀となった現在でも、法律的には通貨として「現役」です。

新円

聖徳太子100円(4次) 国会議事堂10円 文様5円 二宮尊徳1円

旧円

聖徳太子100円(1次) 和気清麻呂10円 武内大臣1円(適用除外)

2004年08月28日

 

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