軍用手票

Military Notes

「軍用手票」とは?

戦時に占領地にて駐留軍が、現地での物資調達及びその他の支払いのために発行された政府発行の紙幣のことです。本国の通貨制度とは分離して、占領地で使用する目的に特化するために、本国で使われていた紙幣を改造して使ったり、異なった意匠となっていることが多いです。「軍用手票」を略して「軍票/ぐんぴょう」と呼ばれています。

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日華事変軍票

発行地域 中国大陸

発行 昭和12年-昭和20年

 1937年の盧溝橋事件を契機に、我が国と中華民国(1912-1949)は戦闘状態に入りました。広大な戦場で、アメリカ合衆国の支援を受けた中華民国との戦いは、泥沼化の様相をみせ、大東亜戦争(第二次世界大戦)の終結まで戦闘状態が継続しました。我が国は、占領した地域で物資の調達を行うために「軍用手票」を発行しました。様式は初め「明治通宝」の様式を真似たものが用いられ、その後、当時の日本銀行券の文言を抹消した様式、独自の意匠を採用した軍票の発行へと変化しました。

丙号10円
乙号5円
丙号5円
戊号5円
乙号100円
丙号100円

 

 

大東亜戦争軍票

 昭和12年(1937年)の支那事変を契機に、我が国と中華民国は戦闘状態に突入していました。我が国は蒋介石を中心とする国民党軍を大陸奥地の重慶にまで追い詰めました。しかし、我が国の勢力拡大を警戒していたアメリカ合衆国は国民党軍に援助をし続けたため、戦況は泥沼化の様相を見せていました。

 昭和16年(1941年)、アメリカ合衆国、イギリス、中華民国、オランダの4カ国は我が国の勢力拡大を阻止するため、「ABCD包囲網」を発動させました。これにより、資源の乏しい我が国は石油や鉄など必要な物資を輸入できなくなりました。我が国は包囲網の解除をアメリカ合衆国などに要請しました。提示された条件(ハル・ノート)は、日本軍の中国大陸からの全面撤退、日独伊三国軍事同盟の破棄、我が国に協力的な中華民国南京政府の否認という、到底受け入れることの出来ないものでした。万策尽き果てた我が国は、ここに米英との開戦を決意し、12月7日、ハワイ・真珠湾の米国艦隊を攻撃しました。

 日本軍は破竹の勢いで勝ち進み、アメリカの植民地だったフィリピン、イギリスの植民地だった、マレー・香港・ビルマ、オランダの植民地だったインドネシアなどにおいて連戦連勝し、これらの地を勢力下におきました。こうして、東南アジアに於ける欧米各国の植民地体制は崩壊します。我が国は、米英からの解放、共存共栄の秩序、人種差別撤廃などを掲げた「大東亜共栄圏」構想を提唱しました。現地では、決済手段として軍用手票が発行されました。これらの軍票には日本らしい風物が描かれることが無く、かわりに椰子の木や南国の果物が描かれています。また、券面の文言には、英語やオランダ語などそれまで宗主国だった国の言語が用いられ、日本語は券面に小さく「大日本帝国政府」と記載されるにとどまりました。

 昭和20年(1945年)、我が国は戦争に敗れました。我が国が発行した軍用手票は無価値となり、通用を禁止されました。

 

オランダ領インド

該当する収蔵品がありません。

 

イギリス領マラヤ(現マレーシア)

に号1ドル
 

アメリカ領フィリピン(現フィリピン

ほ号100ペソ
 

イギリス領ビルマ(現ミャンマー

 

 

 

へ号5ルピー
へ号10ルピー

へ号100ルピー

オセアニア方面

該当する収蔵品がありません。

 

占領下の日本 アメリカ軍 円単位軍票

大東亜戦争(第二次世界大戦)終結後、我が国を占領したアメリカ軍が日本国内での使用を想定して発行。

B10円券


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